私、南三陸町と生きてくことに決めました。

南三陸町と自分のことについて綴ります。

始動

私、南三陸町と生きてくことに決めました。


唐突にそう思ったのではなく、

少し前から考えていたこと。


つい最近まで、

オヤジの介護をずっとしておりました。


レビー小体型認知症という

認知症筋ジストロフィー症が

加わったような認知症

そして、ガンも。


ガンは2012年、

胃の3分の2を摘出した際、

すでにリンパへ転移していることが

分かっておりました。


2015年の夏、

肺炎になってから

自分で食事することができなくなり、

2017年くらいから寝たきり、

最後の半年間くらいは食事も摂れず、

点滴から栄養を摂るだけになりました。


そんなオヤジを「最後まで看る!」と決め、

今年の3月、家で看取ることができました。


ぶっちゃけ、介護は大変でした。

それはもう、頑張りました。

頑張った分、想うのです。

2010年の10月に

亡くなったオフクロのことを。


オヤジは最後まで看たことで

それほど後悔のない


「親孝行ができた」


と思えるのですが、

「ちょっと体調が優れない」

ということで病院へ行き、そのまま入院。

そして、その1ヶ月後に、

まさかの死亡となったオフクロには、

そうは思えないのです。


親孝行したい時には親はなし。


分かっていたつもりでしたが、

分かっていませんでした。


もちろん、

全然していなかった訳ではないのですが、

足らな過ぎました。


そんな私の中で

2013年くらいからでしょうか、

ある考え芽生えてきました。


オヤジを看取ったら、

自分の残りの人生

南三陸町のために何かしよう。


南三陸町はご存知の通り

あの震災の被災地です。

そして、その南三陸町

亡くなったオフクロの故郷でした。


自己満足かもしれませんが、

たったひとり

微々たるチカラかもしれませんが、

少しでも復興に役立つことが出来たとしたら、

亡くなったオフクロも

喜んでくれそうな気がしているのです。


7月後半から

宮城に住もうと思っております。

そのつもりで、

オヤジが亡くなってから

いろいろ準備を進めてきました。


そして、今度の日曜の夜、

どこを拠点にして暮らすのがいいのか?

それを決めるべく、夜行バスに乗り、

下見に行ってきます。