私、南三陸町と生きてくことに決めました。

南三陸町と自分のことについて綴ります。

雲行きが怪しいです・・・。

 ようやく引っ越せると思って、

昨日、借りる予定の登米市の不動産屋さんへ

行ってきたのですが、雲行きが怪しいです・・・。


「ずっと父親の介護をしていたので、無職なんですが・・・」


6か月前まではそれでも

「金融機関に貯蓄(その時は具体的な金額を聞く)があり、

それを示す3週間以内の残高証明書があれば大丈夫だと思います」

と言ってもらえたのですが、

今回行くと「無職なんですか・・・」と

持って行った残高証明書もあまり意味をなさない感じに・・・。

 

「一応、保証会社に伝えておきます。

早ければ、1時間後に保証会社から連絡が行くと思います」


そう言われたので、

借りたいと思っている部屋の周辺を確認しながら、

連絡を待つことに。


1時間半待っても連絡が来ないので、

仙台駅へ向かう高速バスに乗ることにしました。

それでも、スマホは手に持ったまま。

1時間半かけ、仙台駅へ着いたのですが、

それでも連絡はなし。


今日の連絡はないだろう。


そう判断し、新幹線に乗ると、

その30分後に、保証会社からの電話。


急いでデッキへ行き、

うるさい中での保証会社とのやり取り。


保:「いくつか確認させてください」

8:「はい」

保:「どうしてこちらでお部屋をお借りするのですか?」


そんなこと聞くんだ?

まぁ、無職の奴がなぜ?と思うでしょうね。


でも、ここは肝心なところなので、

ガタガタとうるさいデッキではあるのですが、

どうして自分が登米で部屋をかりたいのか、

亡くなったオフクロの故郷が南三陸町であること、

そこが被災地であること、

その復興に少しでも役立ちたいことを熱く語るも


保:「そうなんですか」


自分との温度差が違い過ぎる返事が返ってきました・・・。


保:「こちらでお仕事をお探しする予定なんですか?」

8:「はい」

保:「その間はこちらの預貯金で生活される感じですか?」

(一応、残高証明書は送ってくれたみたい)

8:「はい」

保:「分かりました。担当の者がすでに帰宅しているので、

   あらためてご連絡させていただきます」


こんな感じでやり取りが終わりました。

かなり難しい状況かも知れません。

無職の私なんかが、

”理想の部屋”とか言ってられないみたいです。


もし、今の部屋が借りれなかった場合、

向こうへ2、3日泊まり込み、


無職でも部屋でも借りられる部屋


を探しに行くつもりです。